TOSHIN物語 Vol.3
施工一筋な僕が、
人生のどん底を経て
営業副部長になった話
- 主人公
- 営業部 岩岡
TOSHIN物語 Vol.3
まずは簡単に僕の東真での経歴を簡単に話そうか。
僕は今年で東真に入社してから6年目になる。入社3年目まで現場で施工を担当していて4年目から営業に転属した。そして最近では営業の副部長へ昇進した。これだけ聞くと順風満帆なキャリアに見えるかもしれないね。でも、僕は東真に入社する頃は自分が営業をやるなんて夢にも思ってなかったし、今こうして東真で働いているのが奇跡だと思えるようなアクシデントに見舞われた過去を持っている。
そんな僕の話を、ちょっとさせて欲しい。
僕にとって東真は三度目の正直と言える会社だった。
つまり、東真に入社するまでに2つの会社を経験していた。最初はプリントオペレーターとして働いていた。この頃のことを端的に表すと、とても毎日がつまらなかった。業務の性質上、仕事は自分一人で完結するものばかりでルーティーンワークが基本だったのだが、それが自分に合っていないと気づくまでそう時間はかからなかった。
それに、元々プリントオペレーターに興味があったわけじゃなかったから仕事に対する熱量もなかった。ただ、社会に出るなら働かないといけない。その意識だけで働き続けていた。
そんな中、転機が訪れる。それは2011年のことだ。東日本大震災が発生し、僕が勤務する倉庫も大きく揺れた。その時に、多くの印刷機が揺れに合わせて動いたのだ。自分よりもはるかに重くて大きな機械が動きだす光景は、僕の恐怖心を煽るのに十分だった。動く印刷機に挟まれたりぶつかったりなんかしたら大怪我を免れないのは想像がつくだろう。3月11日以降も余震は続き、職場にいる限り気が休まることはなかった。だから、これを機に僕は1度目の転職を決意した。
2つ目の会社は広告代理店で、広告枠を売るルート営業を担当していた。
先に結論を述べると、ここでの仕事も僕に合わなかった。広告業界と聞くと華やかだ、楽しそうだというイメージを思い浮かべる人が多いかもしれないが、そんな良いものではない。毎週定例会議が行われるのだが、そこでは尋問のようなものが行われ、それに対して謝罪をする……というのが繰り返されるだけの場だった。精神の疲弊がすさまじく、ここでの経験によって
「営業は辛いからもうやりたくない」
と思うようになった。当然、この会社も長くは続かず、2度目の転職をすることになった。この時に出会ったのが東真だった。
冒頭でも軽く触れたとおり、僕は施工がやりたくて東真に入社した。
というのも、昔クラブイベントの運営を趣味でやっていた。皆で役割分担し、協力し合ってひとつのイベントを作り上げる、というのがとてつもなく楽しかったんだ。施工の仕事では、自分以外の作業メンバー数人と一緒に現場へ向かい、手際よくモノを作っていく。そんな働き方に、イベント運営に通ずるものを感じたのだ。事実、現場で働けば働くほど初めて自分にあった仕事に出会えたと思えたし、今までとは違い、仕事している時間がとても充実していた。
だから、僕はこのままずっと施工をしていくものだと思っていた。実は入社2年目から
「営業もやってみない?」
と声をかけられるようになった。2つめの会社での嫌な思い出もあったし、施工がとにかく楽しかったから、声をかけられてから1年半くらいは
「現場で働きたいです」
って言い続けてなあなあにしていた。そうこうしているうちに入社3年目に差し掛かるのだが、ここで人生最大のターニングポイントが訪れた。
いつものようにバイクで出勤していたと思っていたら、気がついた時には僕は病院のベッドで横たわっていた。
何が起きたのか理解する前に全身に激痛が走る。
そう、僕は出勤中に事故に合ってしまったのだ。車が相手の事故で、足と肩を骨折する重傷を負ってしまい、そのまま入院を余儀なくされた。仕事に穴を開けてしまうことへの申し訳なさと、体が資本である施工の仕事を続けられるのか?という不安が同時に僕を蝕んでいく。
しかし、それだけではなかった。僕にトドメを刺すかのように、医者は
「骨折が治ったとしても、今までのように歩けないかもしれない」と告げた。
(歩けない?それじゃあ、施工どころか東真で働き続けることすら出来ないかもしれない……)
これが何よりも精神的にキツかった。せっかく自分がイキイキと働ける会社に出会えたのに、不慮の事故のせいで辞めざるを得ないのか?これから僕はどうなってしまうんだ?そんなネガティブな考えばかりが僕の頭の中を埋め尽くした。
結局僕はこの事故のせいで3ヶ月入院し、その後3ヶ月間にも及ぶリハビリに取り組んだ。
リハビリの甲斐あってか、幸いにも医者が心配していた後遺症が残ることなく今まで通り歩けるようになり、仕事にも復帰できる状態になった。けれど、事故にあってからの半年で僕はすっかりマイナス思考に陥ってしまっていた。怪我が治ったとはいえ、また迷惑をかけてしまうかもしれないから東真で働き続けることは難しいかもしれない、と思うようになっていた。
東真を辞めようと思う、ついにそんな相談を上司に持ちかけた時に貰った言葉を今でも鮮明に覚えている。
「迷惑かけるかもしれないとか、そう言わずにまずはやってみようよ。やってみてダメならまたその時考えよう」
思いつめていた僕の気持ちを一気に和らげてくれた言葉だった。僕のせいで会社に迷惑をかけてしまうのが嫌で辞めることを考えていたけれど、そんな僕の不安な気持ちごと全部受け入れてくれた会社の懐の深さが沁みいった。この言葉のおかげで、僕は東真で働き続ける決意が固まった。そして、僕の体を考慮し、施工ではなく前々から声をかけてもらっていた営業として半年ぶりに職場に復帰することになったんだ。
正直、営業として仕事復帰することになった時点では「またあの嫌な仕事をやることになるのかな……」という懸念が過去の記憶と共に頭をよぎっていた。
けれど、それは杞憂だったんだ。実際にやってみて分かったことは、
「東真の営業、超楽しい!」
の一言に尽きる。営業とはいうけれど、実際はクライアントのアドバイザー、相談相手という表現の方が正しい気がする。何かを売り込むというより、クライアントが欲していることに対してこちら側がリアクションをとっていくスタイルだったからだ。そして、東真の営業は、それがどんなに難しそうな案件だったとしても
「何とかなる」
って思えることが強みだと思う。そう思えるのは他のメンバーとの連携のおかげだ。一人で営業に行った帰りなんかは(どうなるんだろう……)って弱気になっても、それを会社に持ち帰れば一緒に考えてくれる仲間がいる。部下の様子をよく見てくれる上司がいる。部署の垣根もないから施工の人が営業のアシストをしてくれるなんてこともある。そんな環境だから、膨大に抱える案件を協力しあって対処できるし、自分だけでは思いつかないような斬新な考えもバンバン生まれる。施工の時同様、いやもしかしたらそれ以上に
「皆で一つのものを作り上げる楽しさ」
を味わっている気がするんだ。これってとても幸せなことだな、とも思う。
紆余曲折を経た今、僕は
「東真のことが大好き」
だと声を大にして言いたい。業務内容はもちろんだが、それ以上に一緒に働く仲間が、上司が、社長が好きなのだ。良い人が集まる会社は良い会社、というのはまさしくその通りだと思う。もちろん、時には苦難もある。それでも、尊敬し合えるメンバーと一丸となり、仕事に全力で取り組める東真を、皆にも好きになってもらいたい。そう思うのだ。